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【お題挑戦!】幸せだらけの10の恋愛 - きみが見つめる先を、いつしか私も見ていた -
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 ハッ、と息を吐く。苦しい。
「まっ…」
 堪らず、穂香は叫んだ。
「マロンちゃんストーップ!」
 自分の名に反応してか、リードの先の柴犬の耳がピクンと動いた。なあに、とばかりに振り返る様に思わず絆(ほだ)されそうになるが、しかし、先程まで自分を引っ張り苦しめていた張本人は、紛れもなくこの子である。
 はああああ、すうううう、と思いっきり息を吐いて、吸い、吐いて、吸い―――。
 それから改めて、周りを見渡した。どこだ、ここ。
「もー、もー。マロンちゃんが勝手に走ってっちゃうから、迷子になっちゃったよー」
 大通りに出れば確実に場所がわかるだろうが、如何(いかん)せん、住宅街に潜り込んでしまうと、位置の把握が難しい。おまけに朝が早いおかげで閑散とした狭い通りは、朝特有の清々しさと共に、心許(こころもと)なさを感じさせた。
 こんなことなら、遠出するのではなかった。穂香の中で、少しばかりの後悔が生まれた。
 久しぶりの散歩だからと、距離を伸ばしたのがいけなかった。カクンと肩を落とす。
「マロンちゃんもね、興味があるからって急に走り出しちゃダーメ!」
「わん!」
「返事だけはいいんだから~」
 再びカクンと肩を落とす。とりあえず、休憩しよう。
 走り続けた身体は、日頃の運動不足が祟(たた)り、既にバテ気味だ。それとは対照的に、いたって元気な愛犬を見、なんだか情けない気分になってくる。
「………運動、した方がいいのかな」
 言った後に、行動に移し、その上それを継続させるなんてこと、これまで数えるほどしか成功した試しがないわけだが(いや、数えるほどすら、あったかどうか…)。それでも言うだけならタダだ。
 適当に歩いていると、休憩にちょうどいい公園を発見した。それなりに広い。ベンチもありそうだ。
「こういうの、なんていうんだっけ。…お、おあつらえむき? だっけ?」
 とにかくレッツゴー、だ。
 踏み入れた公園は、風によってサワリサワリと葉が揺れる、とても穏やかな場所だった。心が洗われるようだ。こんな気持ちいい場所を見つけられたのなら、迷子になったのも、よかったかもしれない。
 そんなことを考えながら、スウ、と息を吸う。澄んだ空気が身体中を駆け巡っていく感覚が堪らない。
 思わずニンマリと頬が緩む。
「わん!」
 ―――それを壊すように、マロンが吠えた。
 どうしたの、と訊くより早く、グンとリードを強く引かれる。ひゃあ、と情けなく叫びながらも、危うく転びそうになるところを堪(こら)えた。その代わり、リードが穂香の手を離れる。
「マロンちゃ…マロン、待って! 止まって!」
 叫びながら追いかけるが、余程気になるものを見つけたのか、マロンは止まらない。いつもなら一声掛けるだけで止まるのに。泣きそうになりながら追いかける。グングンと走っていくマロンには、とてもじゃないが追いつけない。
 わん、わん。声が聞こえる方向にとにかく走る。
 ようやく姿が見えたと思ったら、マロンはどうやら、公園に来ていた人にじゃれついているようだ。トレーニングウェアを着ていることがわかる。走っている人を見掛けて、思わず追いかけたのだろうか。これまでそんなことなかったのに。
「ま、マロン! こらあ!」
 呼ぶと、ようやくマロンは吠えるのを止め、くるんと振り返った。そのまま、なあに、と言わんばかりに小さく首を傾げてみせる。可愛い。可愛いけど、憎い。
「うちの子がすみません!」
 ぱたぱたと駆け寄って、慌てて頭を深く下げる。頭を上げ、更に言葉を続けようとし、
「お怪我とか…、………っ!?」
 ―――詰まった。
 こんなことってあるだろうか。
 穂香は一瞬、自分がまだ夢を視ているのではないかと疑った。それくらい、衝撃だった。
 しっかり背格好や顔を見たことはなかったが、この瞳はわかる。彼だ。
 自分が一目惚れをした彼が、自分の目の前にいる。
 不自然に途切れた言葉に、相手は訝しがった様子で首を傾げている。それから、何か合点した様に、ああ、と一言。
「大丈夫です」
 それから、口元だけ持ち上げて、笑った。
「可愛いですね、犬。柴ですか」
「あ、…え、あ、は、はい!」
 うわー。うわー、うわー。夢じゃない。夢じゃない!
(どうしよう、どうしよう…! と、とりあえず後でみっちゃんに連絡…)
 そんなことを考えながら、あわあわしていると、「大丈夫ですか?」と逆に訊かれてしまう。しまった。さすがに挙動不審すぎた。
「だ、大丈夫で…す」
 なんとかそれだけ答えて、ヘラリと笑った。顔が引き攣っている自身がある。
「それならいいんですけど。朝は冷え込みますし、気を付けた方がいいですよ。…それじゃ」
 彼は片手を挙げて、別れの挨拶をした。くるりと背を向ける。
 ―――それは、そうだ。自分が彼を知っているのは、それこそ一方的で。それ以外、なんでもなくて。だから、その反応が普通で。
 だけれど、どうしてか、胸が痛い。
 先程まで身体を程よく冷ましてくれていた朝の空気が、今度は身体を必要以上に冷やしているようだ。
「ま、」
 声を掛けようとして、躊躇う。声を掛けて、どうしようというのか。その間にも、彼の背は離れていく。
「わん!」
 そんな彼女の横を、柴犬が駆けてゆく。
「マロ―――あああ! リード!」
 目の前の彼にすっかり仰天して、リードを拾うことを失念していた。
 穂香がようやく状況を把握した頃には、公園を出て行こうとしていた彼の足元をマロンがちょこまかと動き回り、彼を足止めしていた。
 不謹慎だけれど、なんだか嬉しくなって。
(今日のおやつは、マロンの好きなものにしてあげよう)
 自分勝手に、そんなことを考えた。
 緩みかけた頬を慌てて引き締め、再度頭を下げる。
「ごごごごめんなさい! こら、もう、マロンったら」
 心の中で思った不謹慎なソレはひた隠しにして、マロンを叱りつける。それから同じ過ちはもう起こさないぞ、とリードを拾い上げて、ぎゅ、と握った。―――考えてみれば、初回はリードを持っていても力負けにしたのだから、この行為にいったいどれほどの意味があるのか、はかりかねるところではあったが。
 ともあれ。
 目の前でキョトンとした彼に、次に悪戯っぽく笑った。初めて見る表情は、刺激が強い。
「なんだか、懐かれちゃったな。悪い気はしないけど」
 しかも、なんだか少しだけ砕けた言い方で。だから、たぶん、穂香はつい口走ってしまったのだろう。
「た、た、立橋くんも、犬好きなの?」
 目の前の彼は、またもパチクリと目を瞬かせた。
「うん、まあ好き、…だけど、どうして俺の名前を?」
「あ! え、えっと、あの…ま、前に全校集会で! 表彰、されてたから、だからその」
 あわあわとどもりながら、心許ない返答ではあったものの、立橋はどうやら理解したらしい。ああ、と納得したように声を上げた。
「もしかして、おんなじ学校?」
「う、うん。同学年。五組なの」
「じゃあ、階が違うんだな。俺一組だから」
 彼の口調は、完全に敬語が抜けきったソレである。同級生だとわかり、気が抜けたのか。穂香としてもその方が随分話しやすいし、それになんだか敬語の時よりも親しくなれた気がして、嬉しい。
「家、このへんなの?」
「ううん。ちょっと離れたとこにあるの。いつもの散歩コースでもないから、…今日は偶然」
 偶然通り掛かった場所で会えるなんて、これって本当に運がいい!
 思わずにんまり。話の流れ的にも、別に笑っていたっておかしくないだろうから、隠す必要だってないだろうと、思い切り笑う。
「でも、いいとこだね、ここ。また来ようかな。…た、立橋くんは、ここによく来るの?」
「うん、よく走り込みで通る。お気に入りのコースのひとつ」
「そ、そっかあ」
 お気に入りのコース。つまり、ここを通れば、会える可能性があるということだ。
 穂香は今すぐ美津に連絡を取って喜びを伝えたい気持ちを、必死に押し留めた。
「じゃあ、俺もう行くよ」
「あ、うん。ま、…またね!」
 結構な勇気を振り絞って、その言葉を掛ける。また会えますように、という希望を込めて。立橋は特別それを聞き咎めた様子も見せず、同じように「またな」と笑った。それだけで胸が高鳴る。
 遠ざかる背中をしばらく見やってから、ひえええ、と情けない声を発した。
「ま、まろんちゃ~ん…私、私今すっっっごく幸せだあ~」
 言ってから、ふと思い出す。自分が迷っていたことを。………道、わかるだろうか。
「………マロンちゃん、またここ、来れる?」
 くうん? と愛犬が可愛らしく鳴いて、小首を傾げた。

 **********

 人間、がんばればどうにでもなるものである。
 がんばらなくては道がわからないという現状こそ、どうにかしなくてはいけないものなのかもしれないが。
 とにもかくにも。
「………来れた」
「わん!」
 マロンは呑気である。無理もない。
 穂香は公園の入り口で立ち止まると、勢いよく首を振って公園内を見渡す。優しそうな顔をしたお婆さんとお爺さんがいる。夫婦だろうか、なんだかすごく幸せそうだ。いいなあ、ああいうの、憧れるなあ。なんて思って思わずジッと見入ってから数秒後、我に返る。違った、そうじゃなかった。
 再度丹念に視線を巡らせ、それから公園の周囲にも目を向けてみたが、会いたい人物の姿はない。
 ガックリ、と肩を落とす。現実はそんなに甘くない。
「う~………、い、いやでも、でもでも、ずっと前進したんだから。毎朝…あ、でも毎朝はキツイなあ…学校あるしちょこっと遠いし………ど、土曜日? 土曜日とか? う、うん、そのあたり。そのあたりで頑張ろう」
 美津が聞けば、少しくらい無理をしなサイと怒られそうな発言だ。
「……………」
 スウ、と息を吸う。冷たい空気が心地よい。
「また、会えるかな」
 ぎゅう、とリードを握る力を強める。
 会えるといいな。…会いたいな。
 小さく呟いた言葉は、朝の空気に沁み込んで、じんわりと穂香の身体に広がっていった。


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朝の空気と昨日の吐息
絶対ではないと知っていたって、期待してしまう気持ちは、どうしたって止められなかった。
 




 

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