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【お題挑戦!】幸せだらけの10の恋愛 - きみが見つめる先を、いつしか私も見ていた -
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「がんばって…!」
「いけーっ」
 喧騒は、穂香の耳には届かない。
 一年前と同じ。ただ見ている自分。鋭い光を携(たずさ)える彼。
 グン、と相手の腕が伸びる。穂香は、錯覚する。興奮によって朧げになった記憶の中から引っ張りあげた、“あの時”が再び訪れたように。伸びた腕が、彼を捕らえ、そのまま一気に―――そう、確か、一年前は、そう。
 しかし、一年前とは、決定的に違っていた。
 伸びた腕は確かに彼を捕まえたと思った。いや、事実捕った。しかし同様に、彼自身の腕も、相手をしかと捕らえていた。見合う、見合う。一瞬の膠着(こうちゃく)。いや、どうだろう。もしかすると一瞬ではなかったかもしれない。全体的にゆっくりに見える。ゆっくりと、流れている。
 時間の感覚が、妙にズレている。そう感じた。
 でなくては、いつも見ていた、あんなに速い技が、こんなにゆっくり、穂香の瞳に映るはずがない。
 詰まった距離の中で、しかし力負けすることなく、鋭い足払いが掛かる。後ろから崩され、グラリ、と傾く相手の身体を、払った勢いをそのまま利用し、まるで地に押さえつけるかのように、投げた。
 綺麗に落とされた身体。
「一本!」
 一拍後に響く、審判の声。一瞬静まり返った会場が、それまで以上に湧き上がった。
「うおーっ、立橋センパーイ!」
 叫ぶ後輩の声が、遠い。
 ハッ、と息を鋭く吐いた立橋の瞳は、彼の立ち位置と、身体の角度のため、まだ見えない。
 あれ、おかしいな。穂香はぼんやり思った。
 試合途中から、今に至るまで、まだ時がゆっくり流れている。こういうのって、決定的な場面だけで起こる、走馬灯現象ではないの?
 どうして今なお、それが続くのか。そんなことをぼんやり考えて、すぐに答えに行き着いた。
 俯き加減だった顔が上がる。伏し目がちだった目も、前を向く。光が、より一層強まる。
 簡単なことだった。
 自分にとっての決定的瞬間は、技が決まった時でも、勝負に勝った時でもなく、この瞳が輝きを強める時に他ならないのだから。
 ゆっくり、ゆっくり、光が射す。その光が、奔(はし)った拍子に、自分を収めた気がした。それがやっぱり嬉しくて、穂香は自然と微笑んだ。時間の流れが元に戻る。喧噪が甦(よみがえ)る。だけれど、夢心地は抜けきらない。
 立橋とその対戦相手が、礼をして、こちらに戻ってきても、その余韻に浸っていた。肌が粟立つ感覚を、今、彼が自分以外にも与えているのだと想像すると、無意味かつ見当違いであるとわかってはいたが、少しだけ妬いた。

 **********

「久瀬!」
 呼び掛けに、我先に反応したのは、穂香ではなく、愛犬マロンだった。マロンは尻尾をぶんぶんと振って友愛を示す。余程嬉しいのか、耳がペタンとなっている。
 なんとなく、その姿に自分を重ねてしまう。犬は飼い主に似てくるというが、果たして人の好き嫌いも似てくるものなのか。そうだとしたら、なんだか可笑しい。
「マロンも。元気だったか?」
「わんっ!」
 マロンは元気よく応えた。立橋が彼女と会うのは、二週間ぶりだ。彼はポンッとマロンの頭を一撫ですると、改めて穂香に向き直った。
「いつもより早いね?」
「あ…う、うん。なんとなく、早く目が覚めちゃって」
 早い時間に来て、朝の空気に浸りたい気分だったのだ。無論、そこから彼が来るまで―――来るとしたら、この時間までだ、と思われる時間まで、待っているつもりだったのだけれど。
 彼も、心なしか、いつもよりも少しばかり早い気がする。
 しかしあえてそれには触れずに、穂香は笑った。
「変な話なんだけど、一週間経ったのに、まだドキドキしてるの」
 それは、本当。いい加減静まってもよさそうなものなのに、と思いながら、更に言葉を続ける。
「そういえば…改めて、言ってなかったかも。立橋くん、優勝おめでとう」
「ありがとう」
 ニカリと笑う彼は、いつもよりも年相応に見えた。あの後も順調に勝ち進めた彼は、見事個人優勝を果たした。これで地区大会への出場が決定した。このまま順調に行けば――行くだろうと、穂香は、それに彼自身も信じているだろうが――全国大会だ。団体戦での全国出場は、既に決定している。
 とはいえ、部員たち当人にとっては、さして感動する結果でもないらしかった。穂香の高校は、地区大会には必ず進む。地区大会は、行けて当然。そこで躓いているようであれば、論外。顧問が変わった時期を境に、全国大会にも出場する機会が増えてきたから、今では全国大会の出場自体で喜ぶ部員も少ない。問題は、行ってからの成績だ、ということらしい。―――正直に言うと、立橋に一目惚れするまでは、自分の高校のクセに、そんなことすら知らなかったのだが。それはさておき。
 だからこそ、出場して早々、全国まで進み、その後も成績を残してきた立橋には、周りからの期待が自然と掛かっている。
 第二の立橋か、と言われる後輩の加賀見も、昨年の立橋よりもひとつ下の順位で、地区大会へ駒を進めた。気負いしているかと思い声を掛けてみたが、彼には「いよっしゃー! 俺も活躍してやんぜー」と呵々大笑するほどの余裕があるらしい。本当に、肝が据わっているというかなんというか。立橋とはタイプが異なるが、あれも大物になるに違いない、と穂香は素人ながらに感じた。
 ともあれ。
 めでたいことには変わりない。たとえ本人たちが、無条件で喜んでいなかろうとも。
「でも、俺も同じかもしれない」
「…、え?」
 なんの話だったっけ。首を傾げる穂香に、「自分から話を振ったのに」と立橋は可笑しそうに言う。
「大会の、なんていうか…余韻? まだ残ってる」
「立橋くんが?」
 穂香は目を丸くさせた。―――先ほどに述べたことも関連し、彼にとっては、これはただの通過点なのだろう、と考えていたからだ。
「そんなに意外?」
「あ、や…、………えと、そ、うかも。立橋くんって、もっとずっと先を見てるって、勝手に思ってたから」
 散々戸惑ってから、結局これだけ狼狽えておいて、違うと言い張るのも白々しい気がしたので、肯定してみる。それから、ふと先週の会話を思い出した。不敵に笑った顔。悔しかったと真っ直ぐ言い切った声。
「去年の悔しさは、解消できた?」
 その言葉に、立橋は困ったように眉尻を下げ、片手で首の後ろを擦(さす)った。
「同じ大会で勝てばスッキリするかと思ったけど、そうでもなかった。やっぱり、悔しいものは悔しかった。塗り替えなんて、どうやったってできないって悟った。でもそれでいいんだろうな。その気持ちって、これから先も俺の力になると思うから」
 それは。なんとなく、わかる気がした。
 柔道のルールだって、正直まだ曖昧で。醍醐味だって、柔道ファンの10分の1も知らないだろう。けれど、その気持ちは、柔道に限ったことではないだろうから。
 たとえば、恋愛だって。
 どれだけ不毛だと知っていたって、結局自分の気持ちはそうそうコントロールできるものではないから、付き合っていく他ない。それでも好きにならなければよかったとは、どうしても思えない。
 子供だからかもしれない。大人になって苦みを知れば、好きにならなければよかった、と、本気で思うのかもしれない。でも、穂香はそうはなれない。子供でも構わない。たとえその視界に、自分が入っていなくても。その瞳を見るたびに、好きになってよかったと、心底、思う。
 これだけ強い想いを、自分が持てるなんて、思っていなかった。
 これだけ強い想いで、誰かを想えるなんて、思っていなかった。
 それはきっと、素敵なこと。
 それができる自分は、捨てたもんじゃないはずだ。
 だから穂香は、力強く頷いた。
「うん、そうだね」
 力強く頷いて、笑った。
「きっとそれは、立橋くんの力になる。私もそう思うよ」
 言ってから、ハッと我に返る。
「あああああっと、ご、ごめ、偉そうなこと言っちゃって…! やや、でもほんとにそう思って!」
「ふっ…、焦る久瀬、久々に見た。やっぱ可笑しい」
「え、えええっ? そ、そういう反応? そうなの? そんなに可笑しいかな!?」
 なんだか、複雑。
 確かに、自分でも滑稽(こっけい)だとは思うけれど。
 クツクツと笑う立橋は、うん、とサラリと頷いた。
「やっぱ、なんか、落ち着く」
「…………。ふえ?」
 落ち着く?
 それは、喜んでいいのだろうか。ますます複雑な心境で、眉を寄せる。落ち着くというのは、つまり、自分が大慌てするという醜態を幾度となく晒してきて、それが日常の中で当たり前となってしまったからで。いやでも、当たり前の中に組み込んでもらえているのは、少し嬉しいような。いや。いやいや。
 ―――改めて考えても、やっぱり複雑。
「はは、百面相」
「え、あ…」
 そんなに、ころころ変わっていただろうか。…変わっていただろうな。
「っかし…」
 本当に可笑しそうに、背を少し丸めて、彼は笑う。軽くグーにした拳を口元に当て、顔を緩めている。リラックスしている時の顔だ。柔道をしている時とは、全く違う。穂香が初めに惹かれたのは、鋭い眼差しだったが、今の柔らかい表情も、やっぱり好きだ。
 気を許してもらえているようで。
 思わず、頬がゆるゆる緩んでしまう。
 えへへ、と照れ照れ笑っていると、「ありがとう」と改まった声が、横から聴こえた。何事かと、目を瞬かせる。
「久瀬と会ってから、俺、前より素直に笑えるようになった気がするから」
「それは…えっと、ど、どういたしまし、て?」
 なんだか、改めて言われると、恥ずかしいとさえ感じることを、サラリと言われた気がする。
 素直に、と言うけれど。彼の言葉は、出会った当初から、真っ直ぐだったように思える。そんなに変ったかな、何も変わってないように見える。立橋の顔を、ジ、と見つめてみる。
 そもそもがまだ一年の付き合いだ。それより前と比べることなどできないし、出会った頃は上がり過ぎていて、恥を晒した記憶で普段の彼の姿が上書きされている。しっかり目に焼き付いているのは、実は一目ぼれした大会での姿だけのような気もした。一転、どんなことがあったかと訊かれたら、それこそどんどんと話題が出てくるから、見ていない、というのとも違う気がする。むしろ、見過ぎている気がする。
「久瀬、見過ぎ」
「え!?」
 ドキリ、と胸が高鳴った。恋愛的な意味ではない。心中を言い当てられた時の、驚きだ。それから少しの疾しさ。
 けれどすぐに、それは自分の回想に突っ込まれたわけではなく、あくまで今現在のことを指しているのだと、気付いた。確かに、ぼうっと考え事をしている間、ずっと彼の顔を見ていた。気になるのも当然だ。
「ご、ごめん!」
 慌てて謝る。ん、と彼がぶっきらぼうに返した。
「…さすがに、照れる」
「そうだよね。うん」
 穂香は即座に頷いた。自分でも、照れると思う。というより、狼狽(うろた)える。ふ、と頭に立橋に見つめられる自分を思い描いて、ボンッと噴火した。前言撤回。狼狽えるどころの騒ぎではない。
「でも、感謝してるのは、ほんと」
「そ、そっか。だけど、特に何かした覚え、ないんだけどなあ」
「そうなの?」
 訊き返す言葉には、笑いが含まれている。
「俺がそうなれたのは、久瀬がいつも素直に感情を見せてくれてたからだと思ってるけど」
「え…」
 思わず、固まった。素直に、感情を。―――つまり、えーと?
「だから、…見てて、欲しい。久瀬のために、なんて言わないけど。ただ俺は俺のために、絶対に勝つから」
 なんとも立橋らしい言葉だ。真っ白になってフリーズした頭が、そんな感想をはじき出す。今のところ、それほど重要ではない仕事だ。もっと他にあるでしょう、と自分の頭を叱咤するが、やはり動かない。
 そうこうしているうちに、次の爆弾が投下された。
「本当は今日、走り込みに来たんじゃなくて、久瀬にこれ言いたくて、ここに来たんだ」
 言い終えてから彼は、カチンコチンに固まった穂香を見降ろし、ふ、と笑う。
「それじゃあ、もう行くよ。また学校で。…マロンも、またな」
 言うなり、くるりと踵を返し、飛ぶように軽い足取りで、走って行ってしまった。
 残された穂香は、考える。
 つまり、つまり。つまりは。
 ―――この部活のメンバー、ほとんどが鈍いからさ。なんか引っ掛かったとしても、それを恋愛方向に繋げる力、ないから。
 まだ部活に入ったばかりの頃に、星井から放たれた言葉をふと思い出す。
 ―――立橋はその“ほとんど”以外だから、もしかしたら気付いてるかもだけど。
 つまりは、ばれてる?
「………ええええ!?」
 朝日が優しく照らす早朝。閑静な住宅街の中ほどに位置する公園に、少女の悲鳴が響いた。
 それに対し、既に小さくなる彼の背中は、光に照らされ、どこまでも穏やかに景色に溶け込んでいた。


 →NEXT

あまりにも穏やかな終幕
ひとつが幕降り、静かに静かに、でも確実に、何かが少しずつ変わっていく。




 

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