「―――そんなこんなで、一向に情報なんて手に入らないわけですけど」
頬杖を突いた美津の言葉が、穂香にグサリと刺さる。
「え、なんの情報? ねえなんの情報?」
ぴょんぴょこと犬のように尻尾を振る――もちろん、比喩である。しかし本当にそうなっていてもおかしくないくらいのはしゃぎようだ――のは、羽川(はねかわ)真樹(まさき)。字面だけ見ると女の子でも全く問題なさそうな、正真正銘の男の子だ。背が高くて、ひょろりとしている。人懐こい笑みがよく似合う彼は、美津の彼氏の座に在る御方である。もちろん、彼の上に更に美津がどっしり構えているなんてこと、言わずもがな。
「アンタは関係ないから、黙っときなさい。あと跳(は)ねない。跳(と)ばない」
端的な指示に、ピシリと止まる真樹の姿は、まさしく飼い主の命令に従う忠犬そのものだ。
彼は、大人しく美津の隣に並んだ。その後ろを、穂香がとぼとぼ歩いている。
後には、体育館で全校集会が控えているのである。この調子では、先生の話をまともに聞いていそうにないな、と美津は穂香の姿を見て思った。とはいえ、自分だってそう真剣に先生の話を聴くつもりはない。内容はほどほどに憶えておくけれど、それだけだ。
「う~…で、でもでも、次の大会日はしっかりチェックしてるもん!」
「へえ。で、それ、何か月先なの?」
「…………」
穂香は黙り込んだ。
真樹は命令どおり、お口にチャック状態だが、目だけで「なんの大会?」と訝しがっているのがすぐにわかる。ここまで単純な人間はそうそういまい。とはいえ、穂香も真樹とどっこいどっこいな性格だけれど。
「それで彼女いたらショックでかいよね…」
「きゃ~、言わないでーっ!」
目に涙を浮かべ始めた穂香の姿に、真樹はポンと手を打つ。黙れ、と言われたことは、その瞬間に吹っ飛んだようだった。
「わーかった! ほのっち好きな人いるんだあ!」
「お、大声で暴露しないでー! マキちゃんのばかー!」
ギャアギャア喚く二人は、十分に目立っていた。もはや静かにしろと言うことすら面倒で、美津はハアとため息を吐いた。馬鹿馬鹿しくてやっていられない。その片方は自分の彼氏で、もう片方が親友だなんて、本当に信じたくない。
二人の不毛な言い争いは、体育館に着いてから先生に注意されるまで続いた。
―――ま、そう焦ったって、状況は変わりっこないわよ。
先生に叱られたことと、自分の現状についてのダブルダメージでへこたれていた穂香は、全校集会が始まる前に美津がつっけんどんに、けれど明らかに穂香を慰めるために口にした言葉を頭に浮かべた。
さすがに、その言葉に「そうだよね!」と気持ちを切り替えてどっしり構えられるほど、穂香は楽観的な性格をしていなかった。
もし、彼にもう彼女がいたら。しかもそれがすごくすごーく仲が良くてお似合いで、お互いのことを分かりあっていますなんて感じだったら、絶対に手なんて出せない。声なんて掛けられない。いや、“彼女がいる”の一点だけで、穂香は彼を諦めるだろう。諦められなくたって、諦めるのだ。それは相当難しいことだろうけれど。略奪愛なんて、自分には向いていない。そんなことくらいは、わかっている。
だから穂香が祈るのは、彼に彼女がいなくて―――できれば、好きな人もいないこと、だ。そこから自分のことを好きになってくれる確率なんて、ほんの僅かなものだけれど、少しでも希望が残っているなら、穂香はそれで満足できると思う。
―――問題は、彼の素性が一切わからず、そもそも“出会える”のかどうかが怪しい、ということなのだけれど。
それを考えたら、一時浮上しかけた気分が、一気に下降に向かった。
大会で、その姿をこの目に納められたとして。
その後、どうやったら知り合えるだろうか。
大会から出てくるところを待つか、学校に張り込んで帰るところを待つか、………そんなことしか思いつかない。事実、そうでもしなければ出会えないような気がした。
だけれど自分に、それをする勇気があるかどうか。―――いや、あるはずだ。素性さえわかれば、きっとできる、…はず。
そんな自問自答を繰り返していると、気付いたら先生の話は終わっていた。内容はちっとも頭に入っていない。
パチパチパチパチ、拍手が響く。なぜ拍手しているのかもわからないまま、とりあえず周りに合わせて、手を叩く。檀上を見れば、どうやら表彰式のようで、表彰状を受け取った生徒が、元いた場所に戻っていくところだった。その姿をなんとはなしに目で追っていく。
壇上には、何人かが上がっている。すごいなあ、と穂香は思った。穂香は茶道部だ。週一の部活で、周りの子とも仲が良くて、すごく楽しいけれど、“大会”なんて大きな舞台で何かをすることはない。文化祭で、抹茶と茶菓子を振る舞ったけれど………そのくらいだ。
ふよふよと視線を動かし、グッと引き締まった表情をしている彼らを、順々に見ていき、
「―――あっ!」
思わず、声を上げてしまったのは、仕方がないことだと思った。
何事だとばかりに自分に集まる視線に、穂香は羞恥(しゅうち)から頬を朱く染め上げ、俯(うつむ)く。やってしまった。
―――だけど。
見つけた。
見つけた、見つけた見つけた!
にんまり、と浮かんだ笑みを、隠すことができない。キャーッ、と心の中で叫んで、スカートに顔を埋(うず)めた。
壇上に立った、一人の男子生徒。容姿はよくわからないけれど、あの眼差しだけは忘れっこない。
灯台下暗し、とはまさしくこのことだ。まさか自分と同じ高校だったなんて!
「う~~~~………っ」
唸り始めた穂香を、周りがギョッとした顔で見ていたのだが、今の穂香はそれすらも気付けないほど、興奮していた。
**********
「ばっかじゃないの」
以上が、舞い上がる穂香の報告を聞いた、友人の一言である。
「え、えええええ!? ば、ばか…!?」
「馬鹿でしょ。馬鹿でしかないでしょ。あんだけ散々騒いどいて、同じ学校ってなに。気付きなさいよそのくらい!」
「う…だ、だって…柔道って、私、これまで興味無かったし」
「唯一わかってることが、柔道部、なんだから。自分の高校の柔道部くらいチェックなさい。その上で、柔道部の連中に声掛けるとか…方法はいくらでもあったでしょうに」
まさか何もしてないとは思わなかったわ、とこともなさげにフンと息を吐く美津に、穂香はキョトンと目を瞬かせた。
「………そっか、そういう方法があったんだ」
「…………」
好きだ好きだもう一度会いたいと言う割に、あまりに受動的な穂香に、美津は心底呆れてみせた。まあ、そっち方面に免疫がない彼女が、そこまで積極的に動くことは、最初から期待していなかったけれど。
「でもでも、おんなじ学校ってわかったんだもん。学年だって、名前だって」
立橋(たてはし)貴一(きいち)。一年生。穂香と同じだ。
聴いた瞬間に、穂香の胸はドキリと跳ねた。それはなんだか、不思議な魔力を放つ名前だった。
「おんなじ学校だったら…帰り道に会うかもしれないし、廊下ですれ違うかもしれないし、それにクラスだって一緒になるかも…」
「甘い!」
妄想を広げる穂香に、美津は喝を入れる。
「見事に全部、偶然の神頼みじゃないの! 少しは自分で行動しなさい!」
「う…。わ、わかってる………よう」
言葉尻が沈んでいってしまったのは、わかっているけれど実際行動に移せるかどうか、断言できなかったからだ。美津はやはり呆れたような、それでいて少し心配そうな顔をしている。
「…穂香。なんでもかんでも待ってばっかりだと、肝心なところでチャンスを掴めないんだからね。それで後悔するのは自分なんだから、…それはしっかり頭に叩き込んどきなさいよ」
「………うん」
なんだかんだで、美津は優しい。
思わず、にんまり笑うと、「なによ」と訝しげな親友の顔。
「えへへ、みっちゃんと友達になれてよかったなー、って思ってたの」
「…アンタなにこっ恥ずかしいこと口にしてんの」
そう言う美津の頬は、少し赤い。
「私、がんばるね。みっちゃん、前に言ってくれたもんね。もし会えたら、全力で応援してあげるって」
プイと顔を背けた親友が、堪らなく好きだなあと思って。
それは、彼に対する“好き”とは種類が違うけれど、とても大切なものだということは、知っているから。
「…アタシは口にしたことは守るのが信条なの!」
だから。
こんな風に、一緒に騒いでくれる人がいるから。
恋の始まりは、こんなに素敵に始まるのだなと。
そんな取り留めもないことを思った。
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かわいい思い込み
なにも変わってなんかいないのに、一歩近づけた気がしたの。
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